生活の「当たり前」を整えてくれている人たち
母方の実家は農家でした。
今一番親しくしている方の仕事はインフラ関係です。
支えられて生きている
私はよく、「自分は一人では生きられない」と考えます。
その言葉を口にすると、大抵の人はそれを「孤独に耐えられない」という意味に捉えますがそうではありません。
私が一人で生きられないのは、生活基盤を整える能力がないからです。
自分では電気を作る事も飲める水を作る事も作物を育てる事も出来ないからです。
生活基盤を支える仕事をしている人の多くは、自らの仕事に誇りを持ち、当たり前の日常を当たり前に過ごせるように尽力している。
「そんなの当たり前じゃないですか。そういう意味で言うなら誰だって一人で生きられないし、そういう仕事をしている人はそれが仕事なんだから当たり前でしょ」と言われた事もあります。
たとえそれが当たり前であっても、
その人たちが他人からの感謝や称賛を求めて仕事をしている訳ではなくても、
それでも
思わずにはいられない。
この人たちの行いはなんて尊いのだろうと。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「たとえ感謝の念であっても、それを直接本人に言ってはいけない。それは感情の押しつけになるから場合によっては相手に不快感を与えることになる」
と教えられてから、気持ちを伝えることはとても繊細で難しいことなのだなと再認識しています。
それでも、今この新型コロナウィルスが猛威を振るう中でさえ、いつもと変わらぬ働き方でいつもと変わらずインフラや生活基盤を整え続けてくれている人たちがいる。
今はそれを強く認識する時間だと思う事にして、彼らの健康が脅かされないことを願います。