繊細さなどいらない
『自分の正義は絶対で、それに反論する人はねじ伏せれば良い。
寧ろ論破してあげることが相手に正しい正義を気づかせてあげられる感謝されてもいいくらいの行動なのだから自分の正義を相手に理解させるのはとても大切。』
友人でも知人でもない、けれどもどうしても会話をしなければならない相手の中に、こういう考え方を持つ人がかなりの確率で存在します。
ただ、本人は無意識です。無意識だからこその絶対正義でもあるのかもしれない。それは余計にたちが悪い。
人間は自分が正しいと思っていないと生きていけない。
それ自体は別に良いと思うのですが、私は他人に正義感というか価値観を強制的に押し付けられるのが大嫌いで、しかも相手は絶対正義のためこちらの意見を聞く気はさらさらないため対話が成り立たないのは苦痛でしかない。
要は、服従以外の選択肢はない。
『正義とは何か?』
などという倫理の勉強みたいな疑問符は、多くの人は普段気にしない。
気にしないまま自分の正義を振りかざすのだ。
『自分は正しい。だから正しい。
自分と意見が違う。だからあいつは間違い。』
それはそれで構わない。それはその人個人の信念だから。
けれどもそれが『お前は間違っているから俺に従え。お前の考えは許されない』という『侵略』になると話は変わってしまって、こちらは抵抗せざるを得ない。
私は相手の考えを否定はしないが、自分の考えを否定されたいわけでは断じてないからだ。
『自分は正しい。だからそれを声高に主張してもそれは正しい』
私もそうなりたかった。
そうすれば、もう少し生きやすい人生だったかもしれない。
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こういう話をすると「そうなればいいじゃん」「なれないのはあなたの意思の弱さ」と攻撃してくる人が必ず出てくるのですが、私の求める鈍感さって、「生まれつきの鈍感さ」であって、「気にしないように生きよう」とか「なるべく考えないようにしよう」とかいう次元の話ではないのです。というかむしろ気にしないとかは当たり前に既にやってるっての。もしかして馬鹿にされてるのかな。