『傷つく方が悪い』
話すのが嫌いなわけじゃないけど、会話をするととても疲れる。
話している時には気づけなくても、後になってあれは嘲笑されていたのだと気づくことも多い。
反論もできないなら最後まで気づかないままなら幸せだろうに、気づいて傷つく癖に相手と戦うことすらできない。それを癒すには忘れる以外にないのに、悪い思い出は何十年たっても思考にこびりついたまま忘れることができず、会話への恐怖はどんどん蓄積されて減ることはない。
何を間違えた?
私は、どうしてこんなに生きることがつらいのか。
他人から与えられる怒りや暴言、威圧や嘲笑、私が恐れるこれらすべては曰く気にしすぎるからいけないらしい。つまり
気にする私が悪い
ということ。暴言吐く人の思考をこちらの都合で変えることはできないからね。
それってつまり、
ムカついたら怒鳴って良い。
腹が立ったら暴言吐いて良い。
相手を威圧して服従させるのが正しい。
馬鹿にできそうな相手は嘲笑の対象にして構わない。
何を言うのも自由。
だってそれを気にする相手が悪いんだから。
ということ?だよね?
我慢はいらない。
自分の欲望に正直に。
要求しろ。
自分は正しいと押し通せ。
正義はもとからあるわけじゃない。
押し通されて勝ち残ったものが正義なのだ。
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私は生まれてくる宇宙を間違えたんだと思う。
それか、虐げられるためだけに生まれてきたのかのどちらかだろう。
私はこの世界の「正しさ」を否定しない。
それらがあったから今があるのだから。
けれどもこの正しさの世界で私は平常心を保って生きることができない。
それはつまり私がこの世界の正しさから外れてしまっているということ。
生きるのがしんどいのは当たり前だ。
世界の秩序から外れてしまったのだから。