小さな幸せを感じる日々の日記

人生辛かったり楽しかったり悩んだり寝たり起きたり。

死にたい奴は死なせてくれよ

知人がFBで書いていた言葉。

 

『新型コロナウィルスでの死者は3千人程度。

でも日本では自殺者が何万人もいる。』

 

わかる。

わかるよ。

コロナばっかり騒ぎすぎってのは判る。

 

でもな。

コロナで死ぬ人は死にたい人じゃないんだよ。

自殺する人は死にたい人なんだよ。

 

死にたくない人が死んでいくんだ。

大騒ぎして助けてやってくれよ。

 

自殺は死にたい人が死んでいくんだ。

ひっそり死なせてやってくれよ。

 

自殺者だって本当は死にたくない?

助かりたい?

生きていたい?

 

それは素晴らしい!!!

死にたくない奴は生きたらいい!

助かりたいなら声を挙げろ!!

生きていたいなら生き延びろ!!

誰に縋りついてでも生き抜けばいい!!

 

生きる事、生きたいと願う事、求める事。

それは称賛に値する。

この世界は生者の世界。

生きたい者は歓迎される。

 

強く願え。

痛みと戦え。

 

自分の命は自分で守れ。

例え誰かを巻き込んだとしても。

それは生きる者の権利。

そしてそれはこの世界では正しい事。

 

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私は、もう何もいらない。

私の「愛されたい」という最悪の欲望は制御を外れ

私の精神を蝕む。

 

私という醜い欲望の権化が生きている限り、

私の人生は穏やかではない。

 

「愛される」という究極なまでに曖昧で抽象的で他人任せな欲望を

どれだけ努力してもずっと手放せないままでいる。

 

つまり

私はそういう生き物なのだ。

愛される事の無い生き物。

だから愛を求める。

愛される事の無い生き物が愛を求める姿、

それは

この地上で最も惨めで醜悪で気色の悪い汚物。

 

私は自分が生きている限り

この汚物を抱えて生きなければならないのだ。

 

その人生に何の意味がある?

その生き物に何の価値がある?

 

私は愛されたい。

受け入れられたい。

 

もう見下されたくないし嘲笑われることにも飽き飽きしているし、

無視無関心、露わにされる嫌悪感、いい加減消えてくれと

しっかりとした態度で表明される事に傷つくのは、

何度出くわしても慣れっこない。

 

私はただ、博愛で良いから

その他大勢の様にでもいいから愛されたいのだ。

ゴミクズの様に蔑まれなければそれだけでいいから。

いつも願う。

安心できる世界に行きたいと。

 

だが、同時に

それが到底無理である事も知っている。

私が私である限り。

 

だからもういい。

だから、もういいんだ。

死にたい奴は死なせてくれよ。

 

生きたい人は助けてあげてよ。

ここは生きたい人の為の世界なんだから。

生きたい人は全力で生きろ。

 

それが「生きる」という事なのだから。