小さな幸せを感じる日々の日記

人生辛かったり楽しかったり悩んだり寝たり起きたり。

瀕死のスズメバチに見る偉大さと自らの無力さ。

瀕死のスズメバチ

 

待ち合わせの場所に行くと、舗装された歩道に瀕死のスズメバチがいた。

右側を大きくやられているらしく、羽ばたくことが出来ない。

脚も数本しか動かない。

それでも必死にどこかへ向かおうとしていた。

 

命に勝者はいるのか

 

弱っていてもスズメバチ。触る事も出来ずただ見つめていた。

彼は自らの力を以って、舗装された道路の上を少しづつだがしっかりと進んでいた。

 

やがて数十センチ先の植え込みに辿り着き、その隙間に収まった。

もう、自力で抜け出す事は出来ないと思われる数センチの溝。

まるで休息地を見つけたかのように、ぴったりと収まる。

本当はそこに行きたかったわけではないと思う。

けれども、もうそこから動く事はなかった。 

 

彼はどこに向かうつもりだったのだろう。

 

驚異的な能力、凶暴で情けの欠片も持ちえない極めて機械的な昆虫。

 

人生の目標だとか、自分は何をするために産まれてきたのだろうとか、

恐らく一切考えていない。そして死ぬまさにその時まで、自分の行いに疑問を抱く事すらない。

 

成功も失敗も、勝利も優越感もない。

罪悪感も達成感もなく、ただひたすらに命を繋ぐ。

 

それは、人間社会に於いては度々「流されて生きる人生」と揶揄されるものにとてもよく似ている。

加えて、「ムシケラの様に」という言い回しは、蔑みの意味を大いに含む。

 

けれども、

嗚呼

けれどもだ。

 

私はこのスズメバチと比べてどうだ。

私は、一体何をしている?

私は一体何の為に人生を生きている?

 

人間が「特別」であったとしても。

人間は言う。

人間は考える葦であると。

人間だけが「自分はどこから来てどこへ行くのか」と考える、と。

 

そしてそれをあたかも素晴らしい進化、特別な存在であるかのように感じている。

 

しかし、実際。

 

振り返れば、人間がそうして人間らしく悩み考える事が出来る様になるまで、

何万年もの間、生物は生存し続けていた。

 

より豊かな生活を求めたり、社会貢献や環境に配慮など一切せず、ただ生きる事それだけに全身全霊を込めて、生物たちは存続してきた。

 

それは下等なもののする事なのか?

人間様が地上に君臨するための土壌を整え続けてくれていたのは誰だ?

考える事が出来る事が特別だとして、『だから』人間は地球を壊すのか?

 

他の生物が成し得なかった事、人間だけがやれる事、

それは意図的に大量絶滅を引き起こす事。

 

人間が他の生物と違って行える事と言ったら、破壊する事だけだ。

それも驚異的なスピードで。

 

人間には知恵があり知識の蓄積が出来る。

だがそれは本当に生命維持の為に正しかったのか?

真に正しかったのなら、人はこの先何万年と地球に君臨し続けるだろう。

正しかったのなら。

 

それを証明するために、人は知識を集めるのか。

自らが絶対王者となる為の行いが、イコール人類生存の布石だと信じて疑わない人たちが、QEDを求めて彷徨う。

 

成功とはなんだ。

人生の勝者とは誰の事だ。

 

成功とは命を繋ぐ事、失敗は種が絶滅する事。

それは既に人間以外の生命の多くが行っている事。

 

人間は、そして私は何を求めて、どこへ向かっているというのだ。

自己啓発本が声高に啓蒙する人生の目標とは、何の為に必要なのだ。

 

命を繋ぐ事以上に大切な事、それはなんなんだ。

そしてそれに一体どれだけの意味があるというのか。

 

スズメバチにはなれない

 

私は人間だ。

どう足掻いたところでスズメバチにはなれない。

 

彼らには命を繋ぐ事以外の欲望がない。

 

有名になりたいだとか

他者より偉くなりたいだとか

尊敬されたいだとか。

 

愛されたいとか

褒められたいとか

認められたいとか。

 

喜ばれたいとか

必要とされたいとか

大切に扱われたいとか。

 

人の役に立ちたいだとか

社会貢献したいだとか

世界をよりよくしたいだとか。

 

そんな思いは何一つ持っていない。

 

けれども大いに繁栄し命を繋ぐという意味では成功している。

 

嗚呼

そうなのか。

 

これが所謂自己啓発系で言われる

明確な目標を持て

という事なのか。

 

それ以外の全てを捨てても成し得ると決めること

そしてそれを死ぬまで死ぬ気でやり切る事

 

人間は、それを成功として求めているのか。

 

本当に、虫から学ぶべきことは多い。

 

だが、

その為には人間の自由意思はメリットにもデメリットにもなる。

 

成功の目標を自ら立て、個々の意思でもって進む事が出来る。

しかしそれは種の存続とは別次元の成功かもしれない。

個々の成功が種の存続を危なくする可能性もある。

個人レベルの人間が成功しているのに、人類が滅ぶ可能性だってあるのだ。

 

それは成功なのか?

 

スズメバチに倣い目標に向かって邁進し、

しかし人間に立ち返り目的を精査し、

そしてまたスズメバチに戻り自ら決めた成功への道を突き進む。

 

人間の自由意思を持ちながら、虫のように行動する。

それが人間が成功する為に必要な事なのかもしれない。

 

スズメバチと私

植え込みに収まり、動かなくなったスズメバチ

 

私には何もすることが出来ない。

 

何も求められていないし必要ともされていない。

 

助ける事はおろか、哀れに思う事も称賛される事も望んでいない相手を前に、

私の心は張り裂けそうだった。

 

自分の無力さ、

そして

 

尊大な、

おこがましい、

偉ぶっている自分の心の醜さ。

 

愛おしさと尊敬の念を抱きつつも、

決して立ち入ることができない境界線。

 

ありとあらゆる感情が溢れて、涙になる。

 

私は無力だ。

そしてなにより

無力だと思う事すら、

彼にとって、いや、

私以外の全ての命にとって

どうでもいい事なのだ。

 

そこに私は茫然自失する。

 

私とは、何なんだ。

私の感情は、何で出来ているのだ。

 

ぐるぐると感情の波に飲み込まれながら、

それでも、

尊敬の念は消えない。

 

例え愚かでも、

偉そうでも、

身の程知らずであったとしても、

やはり思う。

それは拭いきれない事実であり、

それが私という生き物なのだ。

 

スズメバチ

あなたは偉大だ。

 

その植え込みはあなたの望む生き先ではなかったかもしれない。 

けれども、

今はもうそこで休むといい。

 

あなたの命は次の世代に引き継がれる。

あなたが生きている間の熱量はあなたの望んだ者たちの所へ、

そしてあなたが死んだ後の物質は他の者たちの所へ、

それぞれ必要とされ分解され地球に混ざる。

 

あなたが繋いだ命が、地球を豊かにするのだ。

 

ゆっくり休んで。

次に目を醒ます時が来るまで。

 

 

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スズメバチ