なぜ死を望んではいけないのか
死にたいという類の言葉を口にすると大抵非難される。
否定の理由は様々で、頂いた命を軽んじるなとか世界にはもっと可哀想な人がいるのに贅沢言うなとか色々だ。
だけど私は長い事そのお説教が腑におちず、どうにも納得はいかないまま黙るしかなかった。
しかしわかった事がある。
否定してくる人は生きた人間、つまり相手が生きているから否定するのだ。
生きている、生きている事を当然として生きている、もしくは当人も辛い思いをしながらも生きている。生き方は様々にせよ、ともあれ今現在は生きている人に対して、生きている事に価値を見出さない、生きている事を望まないと言うのはつまり
「あなたが大事に抱えているもの(命)と同じものを私も持っているけれど、私はそれが大事だとは思えないしむしろいらない」
と言われたと感じるのだろう。
誰だって自分の大切なものや好きなものを否定されたくはないから。
だから「生きたい」と願う人は幸福だ。
人は自分と同じ考え方を持つ人に好感を抱きやすい。
この世界は「命」を大事そうに抱えて生きている人が大勢いる。
だから「私は自分の命が大切です」と言うだけで好意的にみてくれる人が大半だろう。
そして好意的な人に囲まれた人生はとても幸せなものになるだろう。
だから生きたいと願う事はそれだけで幸せな人生を約束される意思であり、
逆に言えば生きたいと願わない、死にたいと願う生き方は生きている人しかいない今の世界では異端で否定的で考えが合わずつまり反対者ばかりの辛い人生になるだろう。
そうだな。
確かに人生は自分が願った通りになるという事か。
生きたいと願えば生きることを目指した人生になるだろうし、死にたいと願えば死ぬその時までずっと死にたいと願う人生を送る事になるのだろう。