小さな幸せを感じる日々の日記

人生辛かったり楽しかったり悩んだり寝たり起きたり。

「生きたくない」をまた否定される。

「生きたくない」を否定される。

「生きたくない」は許されない。

これが大前提にあるから、

「生きたくないけど頑張って生きている」は理解されない。

「生きる」は当然のことだから

「生きる」事を頑張るというのはあり得ない。

もしくは甘い、甘えている、「生きる」なんていう当たり前のことをさも大変なことをやっているように言って甘えた人生観を認めてもらおうとしていると思われる。

 

「人は生まれてきたことが幸運だと思わなければならない」

「人間は全員、産まれてきて良かったと思っている」という「常識」が私を苦しめる。

 

「生まれてきたくなかったと思うのはおかしい。」

「生きていたくないと思ってはいけない。」

 

「自分よりもっとつらい人生を送っている人がいる人は、人生の辛さを嘆いてはいけない。」

 

「人生は楽しまなければいけない」

「生かしてくれてありがとうという感謝の気持ちを持たなければならない。」

 

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誰かと意見の相違があった時、議論して互いの理解を深めよと言い出す人がいる。

 

しかし、自分の考えが「当然」「常識」「当たり前」だと思っている人と議論する事は不可能だ。

私は相手の言いたい事を「知らない」わけではない。

この人は生きていることが楽しくて、辛い事も乗り越えることが人生で、そうすることが生きることであって、それを否定しながら生きる人間がいる事を許容できない人だという事を知っている。

 

そして何より、私は相手を否定したくないのだ。

 

相手が楽しく生きたいと思って生きている事。

困難を乗り越えることこそ人生だと思っている事。

万人にその考えを押し付けること。

 

それはその人の個性であり、私がとやかくいう問題ではないのだ。

 

けれども、私の「細胞レベルの自己否定」は、理論でどうにかなる問題ではない。

私は相手を許容しているが自分がその生き方を望んでいるわけではない。

相手は私の考えを根底から180度転換させたい。させるべき。しないのはおかしい、と考えている。

 

この状態の価値観を持った者が相互理解するのは不可能だ。

だから私は唯一の妥協点、「相手の話を聞く」でやり過ごす。

私にはこれしか方法がないから。

相手は喜んで持論を展開し、勝手に満足する。

そういう人の多くは自分の意見を聞いてもらいたいだけで、私の意思などはなからどうでもいいのだ。

 

それで対人関係はやり過ごせる。

しかし私自身を理解してくれる人は誰もいない。

だから私はずっと孤独だ。

そしてそれもまた、否定の対象とされる。

 

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私はただ静かに願っているのだ。

 

私はあなたがあなたらしい意見を持っている事を否定しない。だからどうか、私が悩み苦しみもがきながらもどうにかして自分らしく生きられる道を探し続けている事を否定しないで欲しい。否定し否定し否定し見下し最後に『お前みたいにネガティブにしか物事を考えられない様な奴に生きる資格ない』という侮蔑を込めて「もういい」と突き放すくらいなら、静かに距離を取って。私はあなたと意見を対立させるつもりはない。ただ、お互いが全く同じ考え方ではなくても同じ世界を生きる事は出来ないだろうかと考えている事を知って欲しい。私はあなたが生きたくて生きている事、人生を楽しんでいる事を知っているしそれを否定しない。そしてそれは素晴らしい事だと思っている。だけどどうか、私を殺そうとしないで。あなたが私に対して「楽しく生きていない奴はおかしい」と言う時、私は心をひとつ殺されているんだ。受け入れて欲しいなんておこがましい事は言わない。ただそういう人間もいるんだという事、そういう人間も生きているんだという事を知って欲しいだけなんだ。私はあなたを侵害しないし攻撃もしない。だから見下したり潰そうとしたり侮辱したりしてどうにか私の心を殺そうとしないで欲しい。私は悩みながらも生きているんだ。楽しくなければならないと決めつけられると、それこそ生き辛くなって余計苦しくなる人間もいるって知って、出来れば他の人に接するのと変わらず、普通に対応して欲しいんだ。あなたの許容のない絶対的なポジティブそのものはとても素晴らしい事だけど、他の人がその生き方でなければならないとは思わないで欲しい。

 

あなたは言うだろう。ただ私を助けたいだけだと。

私は思う。それこそが見下しなのだと。

私が私として生きている事そのものを哀れだと、惨めだと、可哀想だと思っていて、自分の生き方になれば助かると思っている。それはあなたが私を「下」だと思っているからきている考え方なのだ。

そうでなければ私の考え方を「変えよう」と努めたりしない。

私を見下していないのなら、無責任に私の生き方を否定するような酷い事はしないはずだから。

 

そしてあなたは再び私を侮蔑する。「これだからネガティブは」と。

  

私は否定され続ける。

生きることが苦しい、苦しいが生きているというのは、本当に狂っているのだろうか。

私が私のままで生きることを許さない。それが世界の規律。

だから私は生まれ変わらなければならない。楽しく生きる為に。

つまり死ねという事だろう?

変われなんて誤魔化しの言葉を使うけど、私のままで生きることを否定する人は簡単に言うと私に「死ね」と言っているのだと気付いて欲しい。

 

そしてそれは正しいから安心しろ。

私もそう思っている。