頭が悪くて困る事
頭が悪くても、生きて行く上ではそんなに問題では無い。
今の日本では、それほど知能が必要とされない仕事はいくらでもある。
それに、生きて行くだけなら別に頭を使って働く必要さえない。
ただ、『人間として生きる』には、頭が悪いと困る事がある。
困ると云うか、ストレスが溜まる事だ。
意志が伝わらない
伝える必要がある事やコミュニケーションをとる必要がある場合、頭が悪いと簡単な事も難しくなってしまう。
明確に伝えたい事がある場面でさえうまく伝えられなかったりするし、相手が理解できなかった場合の言い回しの変え方が解らなかったりすると詰む。
そして誰にも頼らず自分一人の力で全てをやり切って生きていける人でもない限りコミュニケーションは生きる上で絶対に必要だし、これはかなりなハンデとなる。
出来る事なら人生の早い段階で徹底的に修練を積まなければならない部分でもある。
出来ない人は出来ない人生になる、当たり前だけど悲惨。
自分をコントロールできない
頭が悪くても感情はある。
感情とは理性の手前にあるもの。
感情を言語化するのが論理の力。
だから頭の悪い人ほど怒りやすく自分や他人を無意味に傷つけやすい。
本当は、多くの人が、他人を傷つける為に怒っているわけではない事が多い。
単に、自分を理解して、味方になって(同情して、崇めて、認めて、許して、助けて、護って、従って、服従して)欲しいだけなのだ。
けれども、それを上手に伝えることができなくて、もしくは面倒くさくなって怒りの拳を振り上げる。
若しくは、外に怒りを表現できない者は自分で対処できないくせに怒ってしまう自分に腹を立てて自分を非難する。強い自己否定がこれにあたる。
真に賢い人は、自分の中に産まれた怒りの感情をちゃんと受け止め言語化し、正しい形で周囲に知らせる。
賢い人は怒りの感情がないのではない。
正しく伝わればいい事を知っているから、相手に恐怖心を抱かせる必要がないのだ。
サイコパスは最も賢い分類に入るから敢えて他人に恐怖心を抱かせることもあるけれど、サイコパスの凄いところは自分の感情を完全にコントロールしている所だ。
なりふり構わず怒っているように見えて、完璧に冷静に周囲を分析しているから、怒りをすぐにひっこめる事も出来る。それが癇癪持ちとサイコパスとの大きな違いだ。
それに、怒りだけじゃなく嬉しい事や悲しい事だって、ちゃんと言葉にして自分や周囲に理解してもらった方が良い。
総じて、自分の人生を生きられない
頭が悪いというのは、それだけでだいぶ人生を損していると思う。
自分の感情をコントロールできず、人生の目的を果たすのに際して自分の短絡的な感情に振り回され、(狡)賢い人に隙をつかれ大切な時間を浪費することにも気付かず気が付けば人生の大半が過ぎている。
自分の人生を自分のものとして生きられていない事を学び取る頃には多くの場合手遅れだ。早くに気付けたのならそれは喜ばしい事だし、一刻も早く周回遅れを取り戻さなければならない。もしそれが可能であればの話だが。
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私は、表面上は「普通の人」と分類されていて、仕事も普通にしているし税金も普通に払っています。
けれども、頭の悪さは群を抜いて、いや、、恐ろしく平均値より偏った頭をしている気がして、今までよく普通の中で生きてきたなと本当にいつも思います。