小さな幸せを感じる日々の日記

人生辛かったり楽しかったり悩んだり寝たり起きたり。

宇宙は広く深い

とりとめもないこと

私は宇宙について考えるのが好きだ。

 

私は炭素や水などで出来ていて、

私は金やダイヤモンドなんかと一緒で、

宇宙を構成する物質のうちの一つ。

 

ただ宇宙全体でも炭素より金やダイヤモンドの方が総量が少なくて、

希少価値という意味での価値は金の方が高い。

 

でもそれは、人間の歴史で言えばごく最近分かった事で、

はるか昔、物理学が進んでなくて望遠鏡で夜空を眺める程度しか宇宙について

知識がなかった頃から、人は金やダイヤモンドなどの希少価値が高いものに

魅了されてきた。

 

少し掘れば砂金が取れるような産出量が高い地域でさえ、

金は大切に扱われてきた。

 

今は市場価値だとか、言語で「輝き」「煌めき」が「美しい」などと表現でき、

だから人が魅了されるのだと言われると如何にも尤もらしく聞こえるが、

実際は「輝くもの」に必ずしも「価値がある」とは限らない。

 

けれども、人間は正しく希少価値の高いものを選んできた。

これはどういうことなんだろう。

 

細胞レベルで認識される価値観

宇宙の知識を得る前から希少性の高いもの、人間の生活に欠かせないものを

正しく選ぶ事が出来る人間の価値観は、宇宙レベルで正確なのではないだろうか。

 

今では「価値観」とは個人の個性と扱われがちだが、

ある特定の部分については、全てのものが等しく持ち合わせている

共通認識なのではないだろうか。

 

金は美しい。

美しいものには惹かれる。

死に対しては恐怖を感じ、

腐敗に不快感を覚える。

若い者はそれだけで価値があり

中身のない年配者は選ばれない。

 

遺伝情報を伝達するために子供を産むのなら

子供はまさに自分の生まれ変わり、人生を引き継ぐ者。

 

しかしそれは何の為に?

 

無機物質が見てきた宇宙

私たちは子供を産むことで身体を新しくし、遺伝情報を次世代へ引き継ぐ。

そうすれば肉体に起こった過去の闘いの歴史が無駄にならない。

 

しかし、宇宙に散らばる金やダイヤモンドや岩石はどうなんだろう。

 

ああ

彼らもまた、岩石から鉄になり更に重力の強い所で揉まれて

(本人(?)の意志は推し量れないが)頑張った結果が金なのか。

 

そうなると、

頑張っている人に対して好意的な解釈をする人が多いのも

それが宇宙の法則から見て正しい(法則に則っている)から

なのかもしれない。

 

金には記憶はないのだろうか

 

もし金に記憶がなかったら、私の中の炭素にも記憶はないのかもしれない。

では、私の記憶はどこにあるのだろう。

 

そして、私が記憶だと思っているこれは

実際は何なのだろう。

 

私が記憶や意志をブログに書いて、それが別の誰かの目に留まると

それは情報を伝達する事になるのか。

では逆に、ブログには書いたけど誰の目にも留まらなかった場合は

伝達した事にならないのか、それともブログに書いた時点で情報としては

処理されているのか。

 

意識とは、どこにある時に意識と定義されるのだろう。

 

宇宙に意識はあるのだろうか。

 

私が鉄や炭素や硫黄や水の寄せ集めであるにもかかわらず、

「一人の意思」というものを持っていると認識するように

宇宙もまた、多種多様な物質が収められていても、ひとつのもの

としての意識を持てるのかもしれない。

 

しかしそうなると?

宇宙の中に私もあなたもまた違う誰かも

等しく組み込まれている訳で。

 

人間の意思は個々で見ると別の意見を持っているように感じるが

宇宙全体でみると統一されているのかもしれない。

 

美しさになんとなく正しさを感じてしまうのも

宇宙が美しいからかもしれない。

 

とりとめもなくなってまいりましたので

この辺で。