本音で話すと場の空気を悪くする人の努力の末路
私は自分の話したいように話すと場の空気を悪くします。
でもそれは、自分で楽しんで楽しませる努力してない人の言い訳でしかない。
そう思って頑張りました。
今日は会社の忘年会でした。
最初は一生懸命話していたのですが、如何せん地頭が悪いから、話の広がる返しが出来ません。
やっとの思いで質問に一言答えると、頭の回転が良い若い子が、ささっと話題をかっさらって行きます。それも何度も何度も。最終的には私に対する質問のほぼすべてを攫って行きました。
彼女が悪いわけじゃない。
彼女は純粋に場を楽しんでいたんだ。
だから私も場の空気を悪くしないように、一生懸命頑張った。
彼女の話に相槌を打って、彼女の話と別の人の話をつなげて、笑って、場を繋いで、一生懸命努力した。
結果、どうなった?
場の空気は悪くならなかった、と思う。
でも、そこに私はいない。
私が存在していなくても成り立っていた空気。
私はいらなかった。
じゃあどうすれば良かったの?
私自身が楽しめていなかったからこんなに苦しいのなら、
どうすれば良かったの。どうすれば楽しかったの?
答えは簡単だ。
私に、良い意味での注目を与えて!
私を素敵な人だと関心を寄せて!
私の話しを興味を持って聞いて!!
私の話しがどんなにつまらなくても笑って聞いて!!!!!
これが私の本心。
これが私の望み。
つまり、結局。
私が苦しむのは
私がどこまでもどこまでも醜く欲深く
それなのにその欲望に見合うだけの能力や魅力や才能がない。
現実と理想のギャップに苦しんでいるのだ。
自分の思う通りにいきたいのであれば、場の空気を凍らせようとも
自分の好きなように語ったらいい。
場の空気を悪くしたくないのなら、自分を押し殺してその場に見合った会話をしていればいい。
どちらも選べず、どちらも欲しがり、結果、どちらに対しても消化不良でぐるぐると苦しみは増すばかり。
--------------------------------------------------------------------
ああでも、結局誰も私の事なんて覚えていないのなら、
苦しむのが自分だけなのなら、
それは最悪の結果ではなかったのかもしれない。
私の闇は夜よりも深く周囲の人を傷つける。
誰も傷つけずに済んだのなら、多少はましな行動だったと思おう。
みなさんも、お酒は楽しく飲みましょうね_(:3」∠)_