自分叩きは歪んだ自己愛の形
「あなたに私の何が判るの」
ドラマなんかでもよくあるセリフ。
でもね、でもですね。
知りすぎてるくせに無理難題を簡単に吹っかけてくる輩も存在するのです。
自分という脅威
何を隠そうそいつは私の中の自分自身。
私の酷い自己嫌悪を正体はほぼすべて、自分に対する理想と現実とのギャップにあります。
失敗した時、うまくいかなかった時、理想的な結果にならなかった時…
そんな時、私は徹底的に自分自身を責めます。
それは何故か。
出来る筈だと思いこんでいるから。
出来て当然だと思っているから。
たいして努力もしていないくせに、
身の程もわきまえないで、
上手くいく要素なんて一つもないのに、
失敗した途端
あり得ない!!
失敗するなんて許せない!!
自分は人間のクズ!!
生きる価値もない!!
と罵る。
出来て当然だと思ってるとそうだよね。
最初っから出来ないと思っていたらそんなに落ち込まない。
でもさ、わかってよ。
私だよ?
なんでできると思ってる?
何で上手く行くと思ってる?
自分の事は自分が一番よくわかってる筈なのに、どうしてそこまで理想を高く高く積み上げられるんだ。
そうして、自分の理想を高く上げ過ぎる自分が嫌で、自分はクズだとちゃんと全身に理解させたくてまた自分を下卑する。下卑しないとつけあがるって事を、自分自身が一番よく知っているからだ。
否定しても叩いても叩いても、相変わらず高い理想を積み上げて現実とのギャップに苦しんでいる。
結局私はどうなりたいんだろう。