傷つく自由がある人とない人
ひとつ前に記事の脱線話。
傷つく人に傷つく人
傷つくと言われて、私は自分を責める。これはデフォだから良いとして。
傷つくってさ、言ったもん勝ちなんだよね。
傷つくって言って来る人に対して「傷つくって言われるの傷つく」って言うのは無しじゃん?
なぜならそれは感情の否定になるから。
嬉しいって言う人に「嬉しがるな」とか悲しんでる人に「悲しむの無しな」って言っても嬉しいもんは嬉しいし、悲しいもんは悲しいんだよ。
だから傷つくのも自由なの。
でも
「傷つく」という言葉に傷つくのはNG許されないの。
「傷つく」と言われた人はただひたすら他人を傷つけたという罪悪感に苛まされないといけないの。
感情の否定は許されないから。
だから「傷つく」のは早いもの勝ちなのだ。
遅れた者に傷つく権利はない。
先に傷ついた人が謝罪と安寧を得るのだ。
こっちからしたら本当は「知らんがな」なんだけどな。
それでもとりあえず延々と罪悪感に苛まされる毎日ではある。