小さな幸せを感じる日々の日記

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Facebookには書けない事。承認欲求のお話。雑談。

溢れる承認欲求

私は実名でFacebookをやっているのですが、時々投稿をしようとして「これを他人の目に触れる所に出してどうしたいのだろう」と立ち止まる事があります。
 
「他人の目など気にしない、誰にどう思われても構わない」というのであれば、そもそもいちいち他人に自分の気持ちを表明する必要すらないはずです。
 
だから、わざわざ誰かの目につく所に自分の気持ちを置くのであれば、そこには理由があるのではないかと思うのです。
 
売込み?客寄せ?そのための知名度アップ?それならまだわかる。
 
私の場合は投稿のきっかけの殆どが「感情が動いた時」で、嬉しかったり楽しかったり感動したり驚嘆したりした時にシェアしたくなるのですが、それをシェアしてどうしようというのだろう。
 
実際これもFacebookに投稿しようと思ったのですが、友達の投稿が全て意味のない、くだらない、客寄せ、金儲け、人脈狙いのものしかないので、こんな投稿したところで反感しか生まないと思ってやめました。
別に彼らの投稿自体を否定するつもりは毛頭ないので。(単に自分は考えすぎて疲れるからやりたくないというだけで。)
 
「前髪切りました!」とか、自分の記録として残しておくつもりなら非公開で良い筈だし、公開設定にしてるって事は不特定多数の知人にお知らせしたいんだよね。何故。
 

承認欲求はわかった。じゃあどうして承認欲求がうまれるのだ。

 
承認欲求がどうとか言われるようになって久しいが、人間の承認欲求とはそもそもなぜ生まれるのか。
なぜみんなこうも躍起になってイイネが欲しくなってしまったのか。
 
ネットがなかった時代は、会いたい人に会えないのは当たり前で、今は会えない時間に相手が何をしているのか一目瞭然でわかる時代なのに、人々の心の寂しさは埋まっていない。
 
それでも、これほどまでにSNSが急拡大したのは、人々がそれを望んでいるからなのだ。
人々は皆自発的に発言し、つながり、そしてストレスを溜めている。
 
今は過渡期なのか。
 
この混沌を超えた先に真に承認欲求が満たされた豊かな世界が待っているのか。
 
・・・っておい、これってつまり
 
人類補完計画じゃないですか_(:3」∠)_