小さな幸せを感じる日々の日記

人生辛かったり楽しかったり悩んだり寝たり起きたり。

会話は意見発表会

私は会話が苦手です。

 

人間が作ったもので嫌いなものは少ないけれど、直接人と会話することだけはどうしても苦手です。

 

思うに、私にとって会話は、相手が意見を持ちそれについて私が「賛成、反対、中立」のどれに該当するかという情報を求めているものなのですが、基本的に相手は賛成を求めて話しかけてくるので賛成し難い時の心労が苦手なのかもしれません。

 

要は、「一見すると意見を求められているテイをとって話しかけてきているが、実際は同調以外求められていない」状態が好きではないということですね。

かといって、相手と対立するほど強い信念は持ち合わせておらず(相手の意見を変えることに関心はない)、むしろこちらを攻撃してこなければ相手がどういう信念であってもどうでもいいので強く持論を展開して大議論に発展させようという意思もない。

 

「聞き流せばいい」「ちゃんと反論すればいい」「受け入れてあげればいい話」などご意見はあるでしょうが、聞き流せば「賛成された」「ちゃんと聞いてない」と言われ、反論すれば議論になり、受け入れられないものを受け入れれば私の存在は必要なくなるのですがそれは。

 

私の好きな会話は寧ろ、音楽のようなものだったのかもしれません。

相手に不快感を与えず言いたいことを言っているようで相手に同調を求めない。

そして何より、聞きたくない人に強制しない。それが私にとって心地よい会話なのかもしれません。

 

 

でもそれって動物的に言うと一番無駄な会話ですよね。

会話は情報伝達システムなのだから、重要な情報が入っている会話の方が大切であって、中身のない(と感じられる)会話はむしろ雑音でしかないのだから。

議論が好きで常に討論してる人(政治家や経営者や科学者など?)の存在は大いに人類発展に貢献していますものね。

 

そういう意味でも、私は人間として生きるに値しないのだなぁと感じてしまうのです。